海外鉄 事始め ダージリン・ヒマラヤン鉄道 インド 服部一人
1982年2月、僕は初めての外国旅行に出かけた。行き先は、インド。汽車を見に行くのが目的だった。紅茶で有名なダージリンでは、おもちゃのような小さな汽車が雄大なヒマラヤを背景に走っていた。その姿を本や雑誌で何度も見て、ずっと憧れていた。
当時の海外旅行は今とは、ずいぶん違っていた。1ドルは230円を越えており、格安航空券というものがまだ市民権を得る前の時代である。夕刊紙の囲み広告を頼りに行った旅行会社は老朽ビルの狭い部屋で、机一つに電話とファックスのみ。そこに女社長が1人で座っていた。あやしいといえば、確かにそうだが、当時格安航空券を扱うところはだいたいこんな感じだったのだ。多少の不安な気持ちで手付け金を置いてきたことを思い出す。
ネットもメールも携帯もなく、また想像すらしなかった。すべてが一昔以上前の話である。
カルカッタから夜行列車で早朝のニュージャルパイグリ駅に着いた。いよいよここからがダージリン鉄道である。ホームに降りるなり、ぐるりと駅構内を見渡した。
「いたっ!」
それにしても小さい。近づいて夢中で写真を撮り始めたが、機関車も客車も背丈より少し高いくらい。遊園地の乗り物だ。
やがてピーッという甲高い汽笛の合図で突然発車。ゆっくりした速度で人家の続く田舎町を走るが、次第に林が迫り、山間に入っていく。右に左に何度もカーブし、勾配も明らかにきつくなってきた。機関車の息づかいも荒々しい。ピストンが前後するせわしない音に、車輪が激しく空転する音、カーブでレールと車輪がきしむ音。この小さな機関車にして、すごい迫力である。しかしスピードは目立って落ちている。
機関車の上には多くの乗務員が乗っている。運転席に機関士と石炭をくべる助手がいるのは普通として、石炭庫の上に1人、これは石炭の塊を金づちで砕いて運転席に放り込む人、機関車の先頭には鉄棒につかまって2人、機関車がスリップしたらすぐに砂をつかんでレールに撒く係だ。人件費の安いインドだけあって一人一芸である。
途中駅のカルシャンからは学校帰りの子供たちが乗ってくる。発車した後もデッキから道路に飛び降りて、ふざけあってまた乗ってくる。子供にとってはいい遊び道具なのだ。これも走れば追いつくくらいのスピードゆえのこと。平行している道路を自動車は軽々と追い越していく。
終点のダージリンにたどり着いたのは薄暗くなった頃だった。出発地のニュージャルパイグリとは植生も景色も、すでにまったく違っている。山は高く、谷は深く、空気も冷たい。8時間以上かかったが、まったく退屈しなかった。念願のダージリン鉄道は本で見たことを追体験するように、スペクタクルの連続で大満足だった。駅の片隅でゆるやかにに蒸気を上げている機関車は大きな仕事を終えて呼吸を整えているように見えた。
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