甘い香りに誘われて フィリピン 服部一人
世に「○○の三大聖地」などという言い方をすることがある。ネグロス島も、さる筋の人々にとっては憧れの三大聖地のひとつなのだが、それは何かと言えば、「蒸気機関車によるサトウキビ運搬鉄道」という聖地である。ちなみにあと2つはご存じのようにインドネシアとキューバである。
ネグロス島一番の町、バコロドに宿を取った。だいたい汽車を見に行く旅だと宿に贅沢はしないから三流ホテルが多いが、昨晩もいかにも田舎のホテルにありそうな安っぽいディスコが深夜までうるさかった。
朝、寝不足は感じない。目指したのは、近くのラ・カルロタ製糖工場である。製糖工場というのは実に甘ったるい匂いがするのである。空気も何となくベタベタしているようにすら感じる。縁日で綿アメの露店の匂いをもっと強くした感じだ。この甘い香りが鼻孔をくすぐり、脳を刺激すると、新たな汽車との出会いに期待して興奮してくるのがわかる。
工場では手数料を払って、今日一日撮影させてもらう。列車の運行情報をもらい、どの畑に行くべきかを教えられる。向こうも手慣れたものである。何しろここは「聖地」であるから、世界中からその手の方々が巡礼にやってくるのである。収穫に向かう列車に同乗してフィールドに出発だ。行きはカラ荷なので、貨車の上で風に吹かれるもよし、汽車の運転室にあがって煤にまみれるのもまた風情である。
機関車の燃料は石炭ではなくて、バガスと呼ばれるサトウキビを搾り取ったあとの繊維を固めたものだ。実はこれこそが蒸気機関車を使っていた理由である。ディーゼルにすればもちろん軽油代がかかるし、牛馬に引かせてもエサ代がかかるが、これなら砂糖精製のあとのカスだからタダである。しかしバガスには大きな問題点がある。石炭に比べてカロリーが低いので、大量に燃やさないといけない。機関助士は一心不乱にひたすらバガスを投げ込んで燃やし続けている。なんだか風呂を焚くのに紙くずや新聞紙だけで燃やしているようなものである。さすがにこれでは火力が足りないとみえて、ときどきバケツの中のオイルを柄杓ですくってかけている。どす黒い油なので、何かと思ったら工場やトラックの廃油だそうである。いやはや廃物利用が徹底している。しかし、まあやっぱり能率が悪いのであろう。この鉄道も大半の機関車は重油を燃料にするように改造されていた。これは盛大な黒煙が出て写真的には迫力が出るけど、石炭の煙とはちょっと雰囲気が違って荒々しい。
やがて見渡す限り地平線までサトウキビ畑の中で列車は止まった。大きく育ったサトウキビの背丈に隠れるようにして、アリのように多くの労働者が刈り取り作業をしている。炎天下で黙々と動くフィリピン人を見ていると、酔狂に汽車を見にきた身が申し訳ない。
さてサトウキビが満載になった、帰るとしよう。力のない汽車には荷が重い。スリップをくり返し、行きよりもさらに遅い速度で工場までの家路をたどる。ガタゴトとゆれる貨車からはサトウキビがバラバラと落ちるが気にしない。やがて工場の煙突が見えて、かすかな甘い香りが感じられる頃、サトウキビの海の彼方に夕日が傾き、今日も一日よく働いたという気分になった。実際には遊んでいただけなのだが。日焼けでほてった体にシャワーを浴びて、さあ、サンミゲルで乾杯だ! 明日もがんばるぞ。
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