ひとめ会いたや、ボールドウィン 中国 国鉄 鶏箇線 服部一人
もし汽車が走っていなければ、まず一生行くことがなかっただろうと確信できるような場所に、いくつも旅行してきた。これといって観光地や名所旧跡があるわけではない、ただの田舎町か辺境地帯。汽車が生存しているのはそんな所が多い。ここもまさにそのひとつである。訪れたのは1990年12月。きっかけはイギリスの趣味誌に載った、数行のごく簡単な紹介記事だった。いわく、「中国国内でも、ここでしか見られない米国製の汽車が走っている‥‥。」 聞き捨てならない。これは行かねばなるまい。
箇旧駅にて出発を待つボールドウィン29号。 1Eテンダー わずか610ミリのナローらしからぬ堂々たる機関車。一目で気に入ってしまった。
雲南省の省都、昆明から夜行列車で南下。ベトナムのハノイに向かう路線だ。翌朝、開遠という町で下車。さらにローカルバスで山道を揺られて、やっとたどり着いた町が箇旧だった。すでに日本を出てから2日以上経っている。ベトナム国境も近い山中の小都市だが、意外に活気があるのは、錫の特産地として有名だということである。町の中心には金湖という名の大きな池があり、なんとなくエキゾチックな風情がある。
ホテルに荷物を置くと、さっそくカメラだけを持ってまず駅に行く。ガランとして汽車はいない。時刻表はなく駅員に聞くと、午前と午後の2往復のようだ。次の列車までまだ時間があるので、駅構内を軽く散策した後で向かったのは公安局である。当時の中国には未解放都市というのがあり、外国人が訪れる場合、地元の公安に出頭するということであった。田舎の公安局の女性職員は突然訪れた外国人に驚くこともなく、実は僕の名前もパスポート情報もホテルから連絡がはいっていた。さすがである。
列車の時間が近づいたので、駅から歩いて線路際で到着を待つ。未知の鉄道の初めて見る汽車。いつもこの時が最もワクワクドキドキで落ち着かない時間だ。線路は人民の生活道路になっていて人や自転車、バイクも通る。みんな、カメラを下げた異邦人をジロジロ見ていくが、こちらもこういう扱いには慣れている。定時に遅れること30分ほど、ディーゼルカーのような警笛が聞こえた。「もしや、もうすでにディーゼルカーに替わってしまったか。」と一瞬いやな予感が頭をよぎる。しかしほどなくして向こうの空に煙が見え始めた。「まちがいない、汽車だ!」 ペンタ67に気合いを込めて握りなおす。カーブを回って目の前に現れたのは、典型的な米国スタイルの汽車。私好みの形である。小型だが力の強そうな汽車が車体をふるわせながらゆっくりと通過していく。列車を見送って、思わず「おーっ」と感嘆の声が出てしまった。こんな異国の山の中まで来て汽車に巡り会える幸せ。
町の名所、金湖のほとりを歩いて戻る道すがら、無事汽車を見て気持ちに余裕ができたか、逆光に輝く湖面が、眩しく美しく、渡る風が少し汗ばんだ首筋にとても心地よかった。
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