奥会津より-閉ざされた田子倉 深川俊一郎
只見線田子倉駅は、田子倉湖畔北端に張り付くように存在する。
開業は昭和46年8月29日、只見-大白川間開通時で、この時をもって只見線は全通している。
昭和35年の田子倉ダム完成と同時に、かつての田子倉集落は水没し姿を消しているが、そのダム建設のために、昭和31年に会津川口から開通した専用線が、只見線の前身である。
田子倉の名称は、ダムと共に、人家の全くない無人駅として継承されたのである。
浅草岳登山口として、また新緑・紅葉の観光拠点としての性格が強く、特に並行する国道252号線六十里越が、12月から4月いっぱいは冬季通行止めとなるため、その間唯一の交通手段となり、春先の田子倉湖での釣り客にも重宝された。
平成13年から、12月~3月が冬季閉鎖となり、雪の田子倉は訪問が困難になった。そして只見町の反対を押し切って、本日平成25年3月16日のダイヤ改正をもって、静かにその歴史に幕がおろされた。
駅前の国道は雪原と化す。平成4年の田子倉。
快晴の浅草岳をバックにキハ58が行く。
対岸からみた田子倉駅。このときは雪が少ない。
雪上の楽園
観光シーズンには車が行き交う駅前も、白銀の静寂が広がるばかり。
雪の装備がなければ表に一歩も踏み出すことができない駅があるだろうか・・・
真冬の浅草岳が姿を現すほどの穏やかな天気はひと冬に何度もないが、そんな日はまさに雪上の楽園である。
只見線 田子倉 minolta XD MC W.ROKKOR 24mmF2.8・35mmF1.8 KR・PKR
国境のトンネルから一筋の光が差す。
トンネルの向こうから終列車がやってきた。田子倉駅ホームにて。
薄暮の国境
越後と会津の国境にある六十里越トンネルを抜けると、そこは田子倉だ。
薄暮のトンネルから、列車のライトがさす瞬間が撮りたくて、吹雪の田子倉に降り立った。
吹きっさらしのホームには待合室もなく、周りは完全に雪に閉ざされている。カンジキを付けて深い雪の中を泳ぐようにかき分けてゆく。
夕刻の上り列車を撮影すると、数時間後の下りが最終列車となる。コンロでお湯を沸かして温かい飲み物をすすりながらひたすら待つ。
もし吹雪で列車が運休したら・・・かすかな恐怖が頭をかすめるが、只見方のトンネルがじんわり明るくなると、心底ほっとしたものだ。
昨今の大雪では運休が頻発しているが、ビバークの装備を持たずに冬の田子倉に降りるということは、今考えれば冒険である。
冬期閉鎖となったことは、乗客の身の安全を守るためには必須だったのであろうか・・・
只見線 田子倉 minolta XD MC W.ROKKOR 35mmF1.8・MD TELE ROKKOR 200mmF4 KR
大白川を過ぎると六十里越に向かっていよいよ山深くなっていく。
田子倉は白く霞んでいた。一瞬の車窓。
只見に着くと、雪壁が車窓に迫ってきた。
閉ざされた田子倉
姿を消す前に、田子倉をもう一度通りたくて、豪雪の只見線に乗った。もちろん列車は通過するので、何が変わる訳でもない。
ただ、雪に閉ざされたその前を通りたかったのである。
本日平成25年3月16日、時刻表からは、田子倉の駅名は確かに消えていた。
只見線 大白川-田子倉-只見 HASSELBLAD 500CM Distagon CF 50mmF4 T*
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