« 2013年4月 | トップページ | 2013年6月 »
列車が去った後には・・・長くゆったりとした時間と空間が流れてゆきます。
そこにはいつも、いずれまたやって来る次の列車の予感があるのです。
線路から付かず離れず、そこにある名もない小さな一瞬を見つけては、ささやかなアルバムの1ページを重ねてゆきます。
路地裏
駅前通りから路地をたどって角を曲がると、小さな踏切が見えた。
日差しが傾きかけた午後の散歩道にて。
ひたちなか海浜鉄道 殿山-平磯 HASSELBLAD 500CM Distagon CF 50mmF4 T*
改札口にて
お見送りか、お迎えか、はたまた漂う風の匂いに誘われているだけか・・・
今やすっかりアイドルになった、おさむくんは何を思う。
ひたちなか海浜鉄道 那珂湊 HASSELBLAD 500CM Distagon CF 50mmF4 T*
当ブログもおかげさまでもうすぐ一年です。
夜のトラムは中心部のDuomoに行ってみることにした。ここはいくつもの系統が集まる場所で、LRTに少しクラシックな連接車、いろんな電車が次から次へとやってくる。お目当ての旧型車が走る1系統もある。
日が沈み次第に暗くなっていく中で、重々しい石造りの街並みはだんだんと闇に溶け込んでいく。日本の都会のように、街全体が煌々と照らし出されるような明るさはなく、無彩色の街並みの中で、街路灯のオレンジ色の明かりがまさに光明のように見える。空にわずかに残る青さ、お店のショーウインドウの照明、車のライト、さまざまな光が交錯する夕暮れ時の街は古いトラムをいっそう際立たせる。
さあステージは整った。街の明かりは名優を迎える舞台照明なのだ。
Canon EOS5DMk2, 60D, EF17-40/4L, Macro100/2.8L, Makro-Planar50/2, Distagon35/2
5月に入り、ようやく暖かな日が多くなりました。
2011年7月30日の新潟・福島豪雨から2度目の春です。只見線会津川口から只見の間は鉄橋が3つ流失し、相変わらず復旧のめどが立っていません。
復旧費用は50~100億円といわれ、難色を示しているJR東日本は5月中に詳細な試算を出すとのことですが、その運命が危ぶまれています。
沿線自治体は復旧を渇望し、福島県も財政支援を検討していますが、真の意味での復旧には、利用客増が不可欠だと思います。
地元の利用促進ももちろんですが、かけがえのない自然と観光資源を活かして、たくさんの人に利用されることを願ってやみません。
残雪眩しく
春の会津盆地では、名峰飯豊連峰がその存在を輝かせています。
冷たい春風が耳元を吹き抜けてゆく。
只見線 若宮-会津坂下 HASSELBLAD 201F Tele-Tessar CF 350mmF5.6 T*
およげ たかく つよく
近頃では庭の鯉のぼりをあまり見かけなくなりました。
線路際のお宅で、強い春風に目いっぱい泳いでいた、子供の日。
只見線 塔寺-会津坂本 HASSELBLAD 201F Distagon CF 50mmF4 T*
二度目の春
会津川口から先に一歩足を踏み入れると、何かが違う。その漂う冷たさに、身が引き締まる思いがします。
錆ついたレールがもの言わず、忘れ去られたような本名駅。列車が来なくなって二度目の春です。
只見線 本名 HASSELBLAD 201F Distagon CF 50mmF4 T*
訪れたのは晩秋。紅葉のトンネルを行く電車。ミラノには街路樹が植えられた美しい専用軌道がいくつもある。
あいにくの雨、まだ夕方までには時間があるのにすでに薄暗い。トラム23系統の終点Lambrateは同名の鉄道駅の小さな駅前広場に沿ってループ線が敷かれている。発車を待つ黄色い電車が静かに雨に濡れている。何枚か写真を撮ったあとで、とりあえずは乗ってみる。車内からいいポイントを探そうという算段だ。開いたドアは4枚折り戸、木製である。車内はタングステンのなごやかな光。乗ったとたん、レトロ感満載である。ヨーロッパのトラムにはよくあることだけど、終点はループになっているので運転台は片側のみ。ドアも片側にしかついていない。
出発した電車は倉庫街のような通りを少し走ったあとに大きく右折、道路中央に設けられた専用軌道に入った。線路の両側には街路樹が植えられて、折しも紅葉した木々がしっとりとした、たたずまいを見せる。
いくつかの角を曲がって次第に町の中心部へと進んでいくが、雨に濡れた窓ガラスの向こうには、しずんだ街並みに街路灯や車の明かりがにじむ。つり掛けの音を聴きながら、少しぼやけたそんな車窓風景を見ていると、ロケハンなど忘れてしまって映画を見ているように情景に浸ってしまった。
雨のLambrateを出発する電車。
23系統のもう一方の終点Piazza Fontanaは都心にありながら静かな場所。並んだ新旧のトラムには約半世紀の歳月がある。
Canon EOS5DMk2, 60D, EF17-40/4L, Macro100/2.8L, Makro-Planar50/2, Distagon35/2
ミラノのトラムは、いまだけっこうな路線長と系統を持つが、電車に乗っていると、すでに使われなくなった線路をあちこちで見かけた。また郊外に延びる路線も地下鉄の伸延に伴って廃止されたものもある。「あぁ、もう数年早く来るべきだったか....。」 毎度のこと、同じ気持ちになるが、まだまだ魅力的である。
路線の大半は連接車や現代的なLRTが軽快に走っている。しかし、いつものようにお目当ては旧型車両である。ミラノでも旧型車が走っている系統は急なカーブや幅の狭い路地があり、今どきの連接車の進入を阻んでいる。単行でガタゴト走り、カーブでは大きくオーバーハングして車輪をきしませる。これぞ路面電車の風情である。
次回は、また一段と渋い魅力的な情景が広がる「夜のトラム」をご紹介します。
4月に入ると季節は一進一退を繰り返しながらも、目に見えて明るくなってゆきます。
日差しの強さに陽気がまだ追いつかないような、そんな冷たさが残る頃なのです。
東京では例年より10日以上早い桜の開花でしたが、雪の多かった今年の会津は逆に10日遅い感じでしょうか。
一本桜
野路に華やぐちいさな桜の袂では、お地蔵さんが春の陽を浴びて鎮座する。
ささやかに春を感じる時。
只見線 塔寺-会津坂本 HASSELBLAD 201F Distagon CF 50mmF4 T*
おみせばん
昼下がり。グラウンドから響く歓声、少し早い下校の生徒たち、お菓子を買いに来る子供の笑い声・・・
ねこは何でも知っている。
只見線 若宮-会津坂下 HASSELBLAD 201F Distagon CF 50mmF4 T*
花冷え
陽が陰ってくると、急に風の冷たさを感じる。
花冷えの向こうから、踏切の鐘の音が聞こえてきた。
只見線 新鶴-若宮 HASSELBLAD 201F Planar CF 80mmF2.8 T*
4月27日が今シーズン(12年度)最後の運転となる、石北本線のタマネギ貨物「DD51」に会いに行きました。
翌27日は、定番の常紋峠ポイントに。
やって来たのはDF200のプッシュプル!今年2度目のテストランということでした。
機関車はホントにどれもカッコイイです。ホレボレ・・・。
*OMAKE*
常紋峠146Kポイントに向かうダート道は、145K踏切り先で一部雪が多く残り、ポイントまで車で入ることは難しかったので、近くに車を止めて徒歩で向かいました。
今の時期は、「ある〜日、森の中・・・」、と、クマさんに出会っても困るので、クマよけ用の鈴をリンリンと鳴らしながら進みます。
先にポイントにいらしていた方は、爆竹を鳴らしながら来たそうで・・・、鉄道を撮るのに、爆竹が要るとは。でも納得です。
145K踏切りには、ふきのとうがたくさん。帰り道の下白滝駅で、みぞれの中を駆け寄って来たワンちゃん。
毎度の Special Thanks 326氏 & Hokkaido
上6点 2013.4.26 下4点 2013.4.27
Canon 5D Markll EF70-200mm F4L ・ EXTENDER 1.4x ・ EF24-105mmF4
イギリスが植民地向け改良したパシフィックYC型1947年製。修理を重ねながら2000年代初頭まで活躍が見られた。
パゴーは首都ヤンゴンから北東に約80キロ、幹線からの分岐駅である。ここから東へタイ国境方面に向かった終点がモーラメインである。汽車は途中のニャングハシまでを往復していた。
大きな地図で見る
鉄道に限らず、車でも飛行機でも古い乗り物が大好きな私は、それらを探してあちこち旅行してきた。きちんと保存している先進国は別として、古い物なら発展の遅れた途上国に行けば見られるかというと、そう簡単でもない。
自分の経験上、こういう物が多く見られる国には共通点がある。たとえば「かつて植民地支配を受け」「独立後に社会主義が続いた国」などは古い乗り物が温存されている場合が多い。おそらく植民地時代に旧宗主国が当時の最新の交通手段を輸入して使用し、社会主義政権の間は経済が逼迫してインフラに十分な投資ができず、古い物を使わざるを得なかった、といった事情があるのではないかと思う。
中国も、あの広大な国土にかつて数千両の汽車が動いていたし、中米のキューバも厳しい経済制裁のせいで石油が不足し、近年までサトウキビ畑で米国製の汽車が働いていた。ミャンマーも同様にアジアの中では最後まで汽車が見られた国のひとつである。
もう十数年も昔のことになるが、ミャンマーに汽車を見に行ってきた。
ヤンゴンの空港ビルは薄暗く、少し蒸し暑いのを我慢しながら入国審査の列に並んでいた。当時公定レートとヤミ両替の間には差があったが、やむなく強制両替の300ドルを替えてから市中に出る。ホテルに行く道すがら、市内バスには名古屋から送られた中古の市バスがそのままの塗装で使われていた。日本語の表記が入ったバスを異国の風景の中で見るのは不思議な感覚である。
翌朝、チャーターした車でバゴーに向かう。ガイド兼通訳を同道しての取材である。社会主義国の撮影には独特の苦労もあって、鉄道施設関係は国家保安上、基本的に撮影禁止である。本当は田舎のローカル線を撮影したからといって、何ら機密などあるわけもないのだが、これは建前であるから守らなければいけない。こういう時は筋を通して、事前に旅行社を通じて許可を取っておいた。
バゴー駅に到着し、まずは車庫に行ってみる。今日の列車の先頭に立つパシフィック630号機が出発準備に余念がない。機関助士がせっせと石炭を燃やし蒸気の圧力を上げ、車体の周りでは注油しながら念入りに各部の点検をしている。
スポーク動輪とすっきりしたボイラーまわりの、やや背の高い均整のとれたスタイルである。日本のC57も「貴婦人」という愛称で呼ばれるが、この英国貴婦人もなかなかのたたずまいだ。遠く本国を離れ、はや半世紀以上。アジアの大地に根ざしていても、すっと立つ美しい姿は決して失われてはいない。
機関士に頼んで運転室に上げてもらう。3人の乗務員がいる空間は意外に狭く、炎の熱気で相当な暑さだ。すすや煙も容赦なく入ってくる。構内を少し動いただけでも車体は揺れ、しっかりつかまっていないと振り落とされそうだ。汽車の運転がいかに重労働かよく理解できる。
「このまま乗ってけ。」と誘われてかなり迷ったが、今回は撮影を優先して車で先回りして線路脇の田んぼで待つ。やがて表れた汽車は平坦な道とはいえ、思ったより速いスピードで目の前を走り去った。さすがはパシフィックである。英国の田園風景の中ではなく、アジアの農村を、民衆を乗せたオンボロ列車の先頭に立ち、黙々と仕事をこなす。アジアの農村で見た英国貴婦人の晴れ姿であった。
昨今は、アウンサンスーチーさんも来日し、これからはビジネスチャンスとばかりにマスコミでも取り上げられることの多くなったミャンマー。十数年前のこの旅では、汽車の他にあちこち田舎をまわって写真を撮り歩いた。のどかな農村と穏やかなミャンマー人のことは今もよく印象に残っている。きっとミャンマーも今後大きく社会や生活が変化するだろうが、また見に行ってみたいと思っている。
Rolleiflex3.5F Xenotar75mm/3.5, Ricoh GR-1, 28mm/2.8, T-MAX400, Neopan400
最近のコメント