1周年特別企画 一年のおさらい 服部一人
こんにちは。
この一年で自分が書いた記事は49本。一年365日で割ると、約1週間に1本といったところでした。ほとんどが撮影の旅日記です。今回は一年の記事の中から、そのとき載せなかった写真、少し古い写真などをいくつかお披露目して、別の角度から一年をふり返ります。
まずは6月15日の「海外鉄 事始め ダージリン・ヒマラヤン鉄道 インド」です。(こちら→http://blog.rail-on.com/2012/06/post-6044.html )
ダージリンには1982年と84年の2回行ってます。まだ学生時代でした。それ以降、インドに行くことはたまにありましたが、ダージリンはずっとご無沙汰でした。今年2月、懐かしきダージリンに実に29年ぶりに行ってきました。さすがに感慨ありました。最新のダージリンについてはいずれまたちゃんと記事にします。今回は新旧の写真を交えて少し。当時の機材はニコンF2フォトミックにニコンFM。FMには小さなモーターをつけていました。レンズはニッコール35ミリ/1.4と20/4でした。
有名なバタシャループ、あのころはなーんにもなかった。いまは公園としてきれいに整備されて戦没者の慰霊塔が建っています。
ダージリンのロコシェッド。このあたりの雰囲気は昔とほとんど変わっていない。ただ汽車の数が減りました。
続いて6月20日の「ウォルターズドルフ路面電車 ドイツ ベルリン」(こちら→http://blog.rail-on.com/2012/06/post-0226.html)から関連してちょっと昔のベルリンのトラムを。
ベルリン市内のトラムはすべてが旧東ドイツエリアにある。そう、昔はベルリンは東と西に分かれていたのだ。そしてあの有名なベルリンの壁が大都市を二分していたのだった。と言ってもいまの若い人には、なんのことやらという感じでしょうね。もうベルリンの壁も歴史上の出来事なんですね。そこでまずその「壁」をお目にかけましょう。
こんな物がぐるっと都市を囲んでいたのです。東京の真ん中にもしこんな建造物があって、わずか壁1枚を境に一方は資本主義、もう一方は社会主義の国が並立していると想像すると、これはかなり奇異なことですね。そんな状態が何十年も続いていたのです。その壁があった当時、「国境」を越えて西側から東側に越境して撮影に出かけました。当時のベルリンのトラムの写真を1枚。この写真はライカM2、スナップによく使っていたズミクロン35/2がついてました。
台車の配置がユニークな連接車。いまは近代的な車両ばかりが走るベルリンも、あの頃はこんなものが走っていたんですね。
次は7月7日の「ひとめ会いたやボールドウイン 中国 国鉄鶏箇線」。(こちら→http://blog.rail-on.com/2012/07/post-e791.html )
使わなかった写真を何枚か。この時は香港経由で昆明まで飛行機、そのあと鉄道とバスを乗り継いで到着しました。長い道のりで未知の土地に単身行くので多量の機材は持って行けない。悩んだ末に、スチルカメラはペンタックス67、レンズ3本。35ミリはライツミノルタCLを一応予備に持って行きましたが、ほとんど使用せず。ペンタックス67だけで撮影してます。けっこう潔い判断ですね。
1Eテンダーのサイドビュー。僕は米国の汽車が好きなので、このプロポーションにはしびれます。低い重心に力強そうな5つの動輪についたバランスウエイト。ボールドウイン特有のシリンダーと蒸気ドームの造形。こんな汽車が人知れず中国の奥地で何十年も働いていたんですね。
勾配をゆっくりと登ってくる汽車。この時はビデオも撮っていて、いまこの場面を見ると激しい空転を何度もしながら登ってくるのがわかる。
棚田の脇を行く汽車。
お次は9月22日「香港のトラム 2階から眺める景色」(こちら→http://blog.rail-on.com/2012/09/2-2cb6.html )
この記事は2000年代に入ってからの撮影ですが、今回は1990年代初頭の写真。有名な市場の中をトラムが走る北角の春秧街です。ここは4×5、6×6、35ミリ、カラー、B/W、さらにムービーもと、実にいろいろ撮影してます。よっぽどお気に入りだったんですね。その中から粗粒子写真をひとつ。市場の喧噪と雑踏を表現するために昔で言う「コンポラ写真」のようなことをやってみたかったのでしょう。この時はキャノンの鉄道ファン写真コンクールの賞品でいただいたEOS1とライカM2。ライカにはスーパーアンギュロン21/4がついてました。高いレンズだったので傷だらけの中古品を買いました。周辺光量の落ち方が独特です。フィルムはTMZです。
次に進んで10月1日「ナローゲージの電車 近鉄内部八王子線 三岐鉄道北勢線」(こちら→http://blog.rail-on.com/2012/10/post-0fd9.html )
まだ旧型車の天下だった頃の内部線です。
沿線は家が建て込んできていますが、昔とそんなに雰囲気は変わらないようにも感じます。当時はKマウントになったペンタックスを愛用。これはオート専用機のMEと80−200、35ミリで撮ってます。
日永〜南日永
日永
内部
こんな感じで次回もいままでの記事をふり返ります。
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コメント
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こんばんわ。先日のコメントご返信嬉しかったです!ありがとうございます。
こちらのブログで発表されている服部さんの作品、パッとみた瞬間いつも独特の色調といいましょうか(←良い意味で!)世界観についつい見入ってしまいます。端的に言えばとっても渋い感じの世界観に本当に魅せられています。以前の大井川鐵道(川根路)の作品は私も通っているだけにとっても新しい川根路を見せていただいた思いです!それでいらして所謂“鉄分”を一番感じさせていただくのも服部さんなのです!
口下手な感想で上手く伝えきれず恐縮ですが、これからも服部さんワールドを楽しみにしています。
私事で恐縮ですが、ここ三年ちかく近場の江ノ電ばかり撮ってます。結構ハマってます(笑)
投稿: さとけん | 2013年6月 7日 (金) 23時36分