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何度も登場している阪堺電車だが、暑くなってくるこの季節からは、冷房のないモ161型は出番がほとんどなくなる。秋風が吹く10月くらいまで車庫の中でお休みである。それでは今回はもうひとつのお気に入り、モ501型の登場です。
5両ある仲間のうち、502が旧都電塗装です。504、505もこのあいだまで竣工当時の旧塗装だったけど、現在はそれぞれ広告電車になっている。この旧塗装の緑とクリーム色の塗り分けが実にいい味わいで、モ161型と同じくらい好きだった。モ501型も1957年の製造というから、すでに半世紀以上。モ161型に比べれば新しいが、立派なレトロ電車なんだね。
デビュー当時は路面電車としては最新鋭車両だったらしいが、広告のないシンプルなツートンカラーの車体を眺めていると、昭和30年代のモダンな雰囲気が伝わってくる。広告電車の契約が過ぎたら、もう1回旧塗装やってくれないかなぁ……。
住吉
黄色の旧都電色もけっこう似合っている気がします。住吉大社の森の緑を背景にするとよく映えます。
住吉
CANON EOS 5DMk2 EF28-70/2.8L 24-105/4L FUJI X-E1 Fujinon XF18-55/2.8-4
その昔、汐留操車場跡地にあった大人の遊園地 TOKYO ROOFに、突然、UFOが・・・。
現在は、超高層ビルが林立し、その中をゆりかもめが走る。当時の面影はほとんど無い。
この頃、出張から帰ると、たくさんの撮影済みフィルムの山にうんざりしながらも、マスコタンクで丁寧に手現していたものだった。
先日、何年ぶりだろうか。以前、撮っていたランドスケープのモノクロプリントを見ると、今年の1月に、ほぼ同一のアングルで撮影していたことに気付く。それにしても、今も昔も感性に変わりがないようだ(進歩がない!?)。
遠い煙突の煙、空気感が、23年の歳月の流れを感じさせない。
流し撮りはフィルム時代にはほとんどやらなくて、デジカメになってから、たびたびやるようになった。鉄道写真ではおなじみでの技法で名作も数多い。ブレなくバッチリ決まった流し撮りは躍動感にあふれ、気持ちのいいものだ。しかし、私程度の腕だと歩留まりが悪くて、なかなかアタリが少ない。デジカメになって、よくやるようになったのはすぐ結果が確認できるからだろう。
真横の流し撮りはあまりやらなくて、斜めや正面に近いアングルでやるのが好みだ。だから車両全体のどこか1点だけがシャープで、あとは微妙にブレているという写真が気に入っている。標準や広角でパースをつけて撮るのも好きだ。こういう撮り方だと当たればドラマチックだが、ほとんど当たらない。
一年中いつやっても、もちろんいいのだが、やはり緑の美しいこの季節が最高だという気がする。
養老鉄道 美濃山崎~駒野
広島電鉄 横川駅
路面電車は大好きなのだが、撮影はけっこうむつかしい。車がかぶることもよくあるし、雑多な街並みの背景が美しくないこともしばしばある。そういうときにも軽く流してしまうと目立たなくなって好都合。よくやる手だ。
広島電鉄 十日市町
夕方から夜の流し撮りもよくやる。ネオンや街路灯や車のヘッドライト、さまざまな光跡が流れるのは美しい。昼だと絵にならない場所でもいい写真が撮れたりする。それにしても京都市電に大阪市電に北九州と、いにしえの電車達が普通に走っている広電はすばらしい。いつも行くと一日券買って、朝から晩まで乗ってます。
CANON EOS 5DMk2. 50D EF70-200/2.8L 24-105/4L
6月の晴れた日は陽が長く、すっかり梅雨も明けたような気になってしまいます。
それでもじっくり観察していると、緑はまだ少し浅く、風は春の余韻を残しています。季節の変わり目は後から実感するものなのかもしれません。
梅雨の晴れ間
ホームのベンチからの眺めは、小さな紫陽花が盛りで可愛らしい。
少し湿った風がそよいでゆく、梅雨の晴れ間。
小湊鉄道 高滝 HASSELBLAD 201F Distagon CF 50mmF4 T*
雨乞い
紫陽花を眺めていたら、小さな蛙と目が合ってしまった。
あまり日差しが強いと、雨が恋しくなる。
小湊鉄道 高滝 HASSELBLAD 201F Distagon CF 50mmF4 T*
空梅雨
真夏の風景と何が違うだろう。
小さな鉄橋をくぐる路地には、人っ子一人いない。
小湊鉄道 高滝-里見 HASSELBLAD 201F Distagon CF 50mmF4 T*
はじめはたびたび登場する阪堺電車です。(こちら→http://blog.rail-on.com/2012/11/161-b2e9.html)
記事にアップしたのは最近の撮影ばかりですが、ここで一枚、昔の写真を。時は1980年、阪堺電車の平野線が廃止になる直前です。平野行きの電車が天王寺に停まっているところです。天王寺停留所かいわいも、あべのキューズタウンができて少し変わりました。つい数年前まで、あそこにはバラック建ての名残を残す昭和の横町が残っていました。今年はあべのハルカスもオープンして、また雰囲気が変わることでしょう。カメラはアサヒペンタックスSLにスーパータクマー35/3.5。
阪堺電車の記事は全部デジカメで撮った写真ばかりですが、実はフィルムカメラも使っています。たいていはハッセルかローライの6×6、モノクロです。こうして見ると、同じ時に撮影しているのにデジカメとはずいぶん違った撮り方をしてます。
次は明治村。(こちら→http://blog.rail-on.com/2013/01/12n-5fcc.html)
ブログでは復活なった1号機関車を取り上げているので、ここではもう1台のボールドウインが活躍していた姿をお目にかけます。個人的にはアメリカ型のこちらの汽車が大好きです。早く復活するといいですね。
これも6×6、モノクロですが、やはり撮り方がデジカメとは違ってます。カメラが変わると狙いも違ってくると言うことですかね。写真の絵柄や作風などは作者の意図や個性だと思われていますが、実はカメラ機材やフォーマットに支配されている部分も多いのではないかと、自分は考えています。このへんのフォーマットと作風の関係についての考察は、いずれまたきちんと。
次は津軽鉄道。(こちら→http://blog.rail-on.com/2012/12/post-bd17.html )
ここは冬のストーブ列車があまりにも有名。冬の雪に閉ざされた景色もいかにも津軽らしいですが、夏には夏の風情があります。明るい日差しに照らし出された建物のディティールを見ていると、長年の風雪の痕跡が残っていて冬の厳しさを想います。列車を待っているとき、ふと高い空を見上げれば、なにがしかの寂寥感を感じることもあります。というわけで夏の写真を少し。
さて、ざっとふり返ったこの一年。これからもどこかの旅の空の下で見た鉄道の風景をアップしてゆきます。よろしくお願いします。
記念列車撮影のため初めて訪れた明知鉄道。抜けるような五月晴れのなか、汽車旅を堪能した1日でした。
新宿から中央東線で新緑の甲斐路を下り、塩尻から中央西線で素朴な山村や寝覚ノ床を眺めながら、恵那までやってきました。
そしていよいよ私にとって未知の路線です。出発するとすぐに山あり谷あり田圃ありで、駅の佇まいも絵になり、おおよそローカル線の要素をすべて持っているといっていいのではないでしょうか。
もしこのことがなければ、おそらくは一生訪れることもなかったかもしれません。
そう考えると、作品づくりの信条としている一期一会の精神を、改めて考えさせられる日にもなりました。
国鉄時代に来たかったな・・・というたわごとは幾つになっても出てしまいますが、今、ここに生きている鉄道があるのです。
この出会いを導いてくれた、いつも当ブログをご覧いただいている皆様と、レイル・オンの仲間にひたすら感謝です。
真夏の静寂
明智駅は、日本大正村への最寄り駅で、整備された中に古さが同居している。
片隅
山岡駅の片隅にはレールバスが留置されていた。当初は味気ないと思っていた新車が、このようになると誰が思っただろう。
汗ばむ陽気
飯羽間駅で降り立った。列車が去ってゆくと、かすかな熱気が頬をかすめていった.
農村風景
ここには山と田圃しかない。でも日本一の農村風景といわれるだけのことはある。
明知鉄道 HASSELBLAD 201F Distagon CF 50mmF4 T*
今回は、一周年を記念してよく撮影に訪れた地、私の鉄道趣味の原点とも言える品川界隈の懐かしい写真をご紹介したい。
品川-田町間にあった広大な車両基地『品川運転所』(旧品川客車区・旧東京機関区)は、大好きだった車両たちが羽を休める憧れの聖地だった。
列車で通過するときも、額をガラス窓へ付けては「ロクイチがいた!」と心の中でつぶやく・・・。庫の中にいる姿を一目見れるだけで嬉しかった。
しかし、4年前の2009年3月、東京口最後の客車寝台特急「富士・はやぶさ」が廃止になると同時にその役目を終え、すぐさま跡形もなく解体されてしまった・・・。
以前、品川駅東口にあった新幹線東京第一運転所・貨物取扱所、品川機関区は、すでに姿を消しており、再開発が終了しているのはご承知の通りである。
現在は、将来、新駅が誕生することになったこの高輪付近を中心に、大規模な再開発工事が進められている。 品川方の田町車両センターは、当時のままの姿を残しているが、今後、東北縦貫線が開通すれば、その役目を終えることだろう。
2013.6.9 東海道本線下り線より見た品川客車区本部跡地付近。線路の海側への移設が急ピッチで進められている。(上)
工事中の品川駅構内。9・10番線臨時ホームは既に姿を消している。写真中央にある、超高層ビルのところに品川機関区があった。(下)
ブルートレイン人気が次第に高まってきた昭和48年、大阪から転校してきた S君に誘われ、初めて品川客車区へ撮影に訪れた。
この日、子供たちだけでは心配と、S君のお父様が引率してくださり、品川駅東口に出ると「お茶でも飲もう」と、すぐ近くのボナールという喫茶店に入ってコーヒーをいただいた。こんな刺激物を飲んでしまって、胃の調子が悪くならないかと心配したことを思い出す。
東口からはタクシーに乗車、超デラックスな撮影行。あっという間に客車区前に到着した。急に押しかけたにもかかわらず、区長さんが客車区本部前からならと、すんなり撮影許可がいただけた。お父様のおかげ。
この後、お昼はカレーライスをご馳走になり、秋葉原の交通博物館を見学し、上野駅へ。たくさんの特急列車を見て持参した20枚撮りのモノクロフィルム1本を使い切った。
客車区入口の貨物線。折りしも、やってきたEF15194+EF5843の回送を興奮しながら写す。
小5の私にとって、この日の体験が一生忘れられない思い出となり、その後の鉄道写真人生の原点となった。
後に、近くを走る東京モノレールへと撮影対象が広がっていくのである。
東京駅から上り「はやぶさ」の回送が月見群線に到着すると、興奮はピークに達した。(牽引機EF65pが何号機だったかは、未だ不明)
1973.11.3 メイカイSL (ライカサイズ・50mm F8付き固定焦点カメラ) 東郷堂写真工業製 コニパンSS
中3の夏、クラスメイトのI君と品川客車区見学会に応募し、揃って当選! 見学会への切符を手に入れた。
この日のために、泣けなしの小遣いで購入したコダクローム64。初めての使用にドキドキしながら露出を合わせたのを昨日のことの様に憶えている。(右)
月見群線の20系「あさかぜ」カニ21のオデコが可愛い。10系客車が憩う。品川客車区本部2階より。(左)
客車区本部の横の交番検査の倉と客車修繕庫の間にあった狭~い軌道。しかし、ここでトロッコが活躍しているところを見ることは一度もなかった 。(左下)
見学会当日に参加者全員に配られたしおり。客車区の沿革や路線図などが記された貴重な資料だ。(左)KRでの記念すべきファーストカット。。この頃、品川機関区所属のDD13は構内での客車の入れ換えや、写真右奥に見える千代田倉庫の貨物・汐留などで大活躍だった。(DD1312+DD1358)
懐かしい当時のパッケージ。原板ポジには当時の色彩がしっかりと残っている。
1977.8.1 Canon EF FD55mm F1.2
こんにちは。
この一年で自分が書いた記事は49本。一年365日で割ると、約1週間に1本といったところでした。ほとんどが撮影の旅日記です。今回は一年の記事の中から、そのとき載せなかった写真、少し古い写真などをいくつかお披露目して、別の角度から一年をふり返ります。
まずは6月15日の「海外鉄 事始め ダージリン・ヒマラヤン鉄道 インド」です。(こちら→http://blog.rail-on.com/2012/06/post-6044.html )
ダージリンには1982年と84年の2回行ってます。まだ学生時代でした。それ以降、インドに行くことはたまにありましたが、ダージリンはずっとご無沙汰でした。今年2月、懐かしきダージリンに実に29年ぶりに行ってきました。さすがに感慨ありました。最新のダージリンについてはいずれまたちゃんと記事にします。今回は新旧の写真を交えて少し。当時の機材はニコンF2フォトミックにニコンFM。FMには小さなモーターをつけていました。レンズはニッコール35ミリ/1.4と20/4でした。
有名なバタシャループ、あのころはなーんにもなかった。いまは公園としてきれいに整備されて戦没者の慰霊塔が建っています。
ダージリンのロコシェッド。このあたりの雰囲気は昔とほとんど変わっていない。ただ汽車の数が減りました。
続いて6月20日の「ウォルターズドルフ路面電車 ドイツ ベルリン」(こちら→http://blog.rail-on.com/2012/06/post-0226.html)から関連してちょっと昔のベルリンのトラムを。
ベルリン市内のトラムはすべてが旧東ドイツエリアにある。そう、昔はベルリンは東と西に分かれていたのだ。そしてあの有名なベルリンの壁が大都市を二分していたのだった。と言ってもいまの若い人には、なんのことやらという感じでしょうね。もうベルリンの壁も歴史上の出来事なんですね。そこでまずその「壁」をお目にかけましょう。
こんな物がぐるっと都市を囲んでいたのです。東京の真ん中にもしこんな建造物があって、わずか壁1枚を境に一方は資本主義、もう一方は社会主義の国が並立していると想像すると、これはかなり奇異なことですね。そんな状態が何十年も続いていたのです。その壁があった当時、「国境」を越えて西側から東側に越境して撮影に出かけました。当時のベルリンのトラムの写真を1枚。この写真はライカM2、スナップによく使っていたズミクロン35/2がついてました。
台車の配置がユニークな連接車。いまは近代的な車両ばかりが走るベルリンも、あの頃はこんなものが走っていたんですね。
次は7月7日の「ひとめ会いたやボールドウイン 中国 国鉄鶏箇線」。(こちら→http://blog.rail-on.com/2012/07/post-e791.html )
使わなかった写真を何枚か。この時は香港経由で昆明まで飛行機、そのあと鉄道とバスを乗り継いで到着しました。長い道のりで未知の土地に単身行くので多量の機材は持って行けない。悩んだ末に、スチルカメラはペンタックス67、レンズ3本。35ミリはライツミノルタCLを一応予備に持って行きましたが、ほとんど使用せず。ペンタックス67だけで撮影してます。けっこう潔い判断ですね。
1Eテンダーのサイドビュー。僕は米国の汽車が好きなので、このプロポーションにはしびれます。低い重心に力強そうな5つの動輪についたバランスウエイト。ボールドウイン特有のシリンダーと蒸気ドームの造形。こんな汽車が人知れず中国の奥地で何十年も働いていたんですね。
勾配をゆっくりと登ってくる汽車。この時はビデオも撮っていて、いまこの場面を見ると激しい空転を何度もしながら登ってくるのがわかる。
棚田の脇を行く汽車。
お次は9月22日「香港のトラム 2階から眺める景色」(こちら→http://blog.rail-on.com/2012/09/2-2cb6.html )
この記事は2000年代に入ってからの撮影ですが、今回は1990年代初頭の写真。有名な市場の中をトラムが走る北角の春秧街です。ここは4×5、6×6、35ミリ、カラー、B/W、さらにムービーもと、実にいろいろ撮影してます。よっぽどお気に入りだったんですね。その中から粗粒子写真をひとつ。市場の喧噪と雑踏を表現するために昔で言う「コンポラ写真」のようなことをやってみたかったのでしょう。この時はキャノンの鉄道ファン写真コンクールの賞品でいただいたEOS1とライカM2。ライカにはスーパーアンギュロン21/4がついてました。高いレンズだったので傷だらけの中古品を買いました。周辺光量の落ち方が独特です。フィルムはTMZです。
次に進んで10月1日「ナローゲージの電車 近鉄内部八王子線 三岐鉄道北勢線」(こちら→http://blog.rail-on.com/2012/10/post-0fd9.html )
まだ旧型車の天下だった頃の内部線です。
沿線は家が建て込んできていますが、昔とそんなに雰囲気は変わらないようにも感じます。当時はKマウントになったペンタックスを愛用。これはオート専用機のMEと80−200、35ミリで撮ってます。
日永〜南日永
日永
内部
こんな感じで次回もいままでの記事をふり返ります。
この1年、試行錯誤のブログにお付き合いいただき、ありがとうございました。
わたしにとってのライフワークである只見線は、この1年にも色々あり、ブログでも少し綴ってきました。
タブレットの廃止、只見-大白川間の復旧、田子倉の廃駅・・・
JR東日本が5/22に発表した資料では、会津川口-只見間復旧の総工費は約85億円、期間は4年以上とのことですが、復旧の可否は明言されていません。
未だ一部廃止の危機は払しょくされていませんが、そのかけがえのない魅力を少しでも伝えられればと、これからも思いを綴っていきます。
よろしくお付き合いのほどお願い申し上げます。
少し暑くなってまいりましたので、今回は特別編ということで、季節外れの雪景色でいこうと思います。
たしかに
タブレット閉塞は只見線では当り前のことで、特段意識していなかったのですが、JRで唯一残っており、それも昨年9月を最後に姿を消したこと、恥ずかしながら直前まで知りませんでした。
少し前の写真ですが、自分でも忘れていながら、その時確かに狙っていたことを、今改めて実感しています。
深い雪の道を前に進むための儀式。
出会いの一瞬は、直ちに過去へと去ってゆくのです。
只見線 越後須原 minolta XD MD TELE ROKKOR 135mmF2.8 KR
夕月夜
雪雲が切れ上弦の月輝く頃、西に残照をみながらも月明かりが上塗りされ、神秘の世界が現れます。
ここ只見川第8橋梁付近は、張り付くように水辺を辿り、最も只見線を象徴する区間といえるでしょう。
鉄橋は流失していませんが、この区間の工事が最大の難関で、45億円という全費用の半分以上と、最も長い4年の工期が必要とのことです。
ここを再び列車が通ることを心より祈っています。
只見線 会津塩沢-会津蒲生 CONTAX RTSⅢ Distagon 25mmF2.8 T* PKR
昨日に引き続き、美しい明知鉄道をご覧に入れます。
明知鉄道は中央本線の接続駅恵那と明智を結ぶ約25キロ。沿線には田畑が広がり、駅のまわりには小さな集落がたたずむ。ゆるやかなカーブを描く美しい築堤もあれば、森の中を行く静かな切り通しもある。
線路は恵那から明智に向かってほぼ一方的な上り勾配が続いている。途中の飯沼駅は33‰、野志駅は30‰の急勾配中にホームがあるが、日本1、2位の急勾配駅だそうである。ともに比較的最近できた駅だが、本来ならスイッチバックじゃないの? というような急勾配に駅がある。
線路は一旦山に入れば地形に沿って高度を稼ぎ、トンネルで山を越える。のどかな田園風景ばかりでなく、まさに日本の里山のさまざまな風情の中をレールバスが走っている。かつて国鉄明知線時代にはC12が貨物列車を引いていたが、小さな汽車と短い編成がさぞ似合っていたことだろう。今のレールバスも悪くはないが、もし国鉄色のキハなんかが走ったら、どれほど人気が出ることだろうと思わせる美しい沿線風景である。
通常はアケチ10型が運用に入っているが、1両だけ残った旧型のアケチ6型も、いかにもレールバスらしい形で、いい味出している。 花白温泉
集落の瓦屋根が光り、緑の山とのコントラストが美しい。 阿木~飯羽間
この季節はちょうど田植えのころ。見事な水鏡となりました。 阿木〜飯羽間
飯羽間~極楽
木造駅舎にホーローの駅名標、硬券切符とレトロなディティールがあちこちに。
沿線風景ばかりでなく、こちらもたいへん魅力的です。
明知鉄道は食堂車が有名だが、ほかにもあの手この手を使って集客、収入増に努めている。そんなけなげな姿にメディアの取材もけっこうあるようだ。 ネームプレートは、終わったあとに記念にいただくことができます。
初夏の一日、いい天候に恵まれて記念列車を往復撮影し、さらにそのあと日が暮れるまで沿線で楽しみました。また来て、もっといろいろ撮りたいという気持ちになる訪問でした。
ブログが始まって1年。
ネットは本来情報を得るために利用することが多いので、いわゆる人気ブログと呼ばれるものは、そのような要求に応える内容になっていると思います。そういう情報的な要素が大してない当ブログを、一定の読者の方々が継続して見てくださっていることは、私たちレイル・オンのメンバーにとって非常に心強い支えとなっています。深く感謝するとともに、これからも末永いおつきあいをお願いします。
さて明日からは、いよいよメンバーが1周年を契機に編んだ記事が毎日連続して6月13日まで続きます。どうぞ、それぞれの個性をお楽しみください。
新緑をバックに快走する、我らが「現代鉄道写真研究所1周年記念」号 。実に凛々しいお姿です。 阿木~飯沼
本日6月1日は当ブログが始まって、ちょうど1周年になる開設記念日です。
いつもご覧いただきありがとうございました。
1周年の記念イベントとして、先月岐阜県の明知鉄道にて記念のネームプレートを掲げた列車を運行しました。
これは明知鉄道の「列車愛称ネーミングライツ」という企画に応募したものです。(→こちらhttp://www.aketetsu.co.jp/modules/pico02/index.php?content_id=1 )
自分の好きな名前をつけて列車を走らせるなんて、鉄なら誰だって心躍ります。それが実現してさらに、がんばっている地方ローカル線を応援することにもつながる。これはすばらしい! 1周年にふさわしいイベントだということで全会一致で決まりました。
さて当日は天も我らに味方して、見事な五月晴れ。みずみずしい新緑とともに実に気持ちのいい一日でした。
当該列車は以下のダイヤ。明智始発で恵那までの1往復です。
明智→岩村→恵那 恵那→岩村→明智
16D・15D 15:03 15:24 15:51 15:58 16:28 16:47
昼過ぎに明知鉄道恵那駅で集合したメンバーは簡単な打ち合わせのあと、12:45発明智行き急行7009Dに乗車します。恵那を出てしばらく、大きく右にカーブして上り勾配が続きます。明知鉄道は沿線風景がすばらしい。のどかな里山の中を走り、ときに山越えの区間もあります。
メンバーのほとんどは初めての訪問でしたが、車窓風景を眺めながら「おぉ」と声が上がることもしばしば。それぞれ手分けして撮影に向かいますが、どこで降りようか迷うほど、いいポイントがいくつもあります。メンバーのうち1人は往復乗車して駅や車内を撮影して、残りは沿線に散らばりました。
始発の明智駅には数々のヘッドマークと並んで我々のネームプレートが。
明知鉄道では季節やイベントに合わせてさまざまなヘッドマークを用意している。
16D列車がホームに入線し、さあ、いよいよヘッドマークの取り付けが始まる。
ヘッドマークも整って、あとは出発を待つばかりの16D恵那行き。本日の車両はアケチ13号です。
阿木〜飯羽間
阿木〜飯羽間
阿木
「現代鉄道写真研究所1周年記念」号の車内。
この企画ではネームプレートを掲げてくれるだけでなく、車内放送で名前を呼んでアナウンスしてくれます。レールバスはワンマンなので運転手さんが走行中に「……なお、本日のこの列車、レイル・オンブログ 現代鉄道写真研究所1周年記念号として、明智恵那間を運転しております。どうぞよろしくお願いします。……。」 まぁ、車内の乗客は誰も気にとめませんが、本人だけが1人ニコニコしてたいへんご満悦でした。
明日は、このすばらしいロケーションを持つ明知鉄道の沿線をご紹介します。
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