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2014年2月26日 (水)

民衆の鉄路(上) ネパール   服部一人

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 昨年11月に青山のギャラリーストークスでおこないました日本大学芸術学部写真学科卒業生の鉄道写真展、私はインドのダージリンヒマラヤン鉄道とネパールのジャナカプール鉄道を出品しました。そのとき展示した写真も含め、今回から2回に分けて、ネパール唯一の鉄道であるジャナカプール鉄道訪問記をお届けします。取材は昨年の2月です。


ジャナカプール鉄道 ネパール~インド国際行商列車

 ジャナカプール鉄道は1935年、イギリスが支配していたインド帝国の時代に作られた。起点のジャイナガールはインド側。ネパール側のボーダー、カジュリを経由してジャナカプールまでの約29キロ。かつてはさらに先のビザルプラまでの路線もあったが現在では廃止され、線路は土に埋もれている。762ミリのナローゲージでインド国鉄のブロードゲージに比べると大幅に狭い。

 この鉄道は、その筋の人にとっては有名な存在。かつてSLが走っていた頃には日本人のファンが何人も訪れている。僕も昔からずっと気になってはいたが、行く機会がないままだった。かつては首都カトマンズから、でこぼこ道を長時間かけてたどり着く苦労の多い場所だった。最近では国内線のフライトもできてずっと便利になった。長年の想いを果たすべく現地に向かった。


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ジャナカプール駅と市内のようす。ジャナカプールはインドの有名な叙情詩「ラーマーヤナ」の舞台の1つ。市内にはゆかりの寺がある。


 カトマンズからの小さなプロペラ機は離陸してわずか30分足らずでジャナカプールに向け着陸態勢に入った。眼下に広がる風景はあきらかにカトマンズとは違っている。もはやヒマラヤのような急峻な山々は見あたらず、ただただ平原が広がっている。高度が下がるにつれ次第にはっきりと見えてくる地上は、低木がまばらに生え、いくつもの集落が点在する。乾期特有の緑の少ない砂埃が舞うような風景だ。

 インドと1000キロ以上にもわたって国境を接するネパール南部のこのあたりはタライ地方と呼ばれ、山岳国ネパールにあってめずらしく平原が広がる。ネパールにとっては貴重な穀倉地帯である。しかし自然環境は夏は40度にならんとする灼熱、乾期の冬は濃霧が出て気温も下がるいう厳しい土地柄でもある。

 ジャナカプール空港はだだっ広い空き地に、建物がひとつぽつんとあるだけの田舎の空港だ。同じ飛行機に乗ってきた地元政治家ご一行様が、支持者たちの鳴り物入りのにぎやかな歓迎を受けて立ち去ってしまうと、あたりはしーんとして人影もまばらだ。外国人は私1人。タクシーも見あたらない。しかたなく空港を出たところまで歩くと、木の下で昼寝をしているリクシャーが数台。ひとりに声をかけ、予約してあるホテルまで行くように頼む。デコボコ道に揺られながら、外国人はカモと思われたか、熱心な売り込みが始まる。「俺がいいホテルを知っている。」「何日いるんだ、明日はどこに行くんだ?」「ミティラーアートにジャナキ寺院の観光はどうだ?」適当に返事をしながら相手をしているうちに町に入った。歩いている人々はカトマンズのネパール人とは違う、インド系の彫りの深い顔つきの人が多い。

 着いたところはまったく別のホテル。ここじゃないと言っても自信たっぷりに「ここが一番いいホテルだ。ここに泊まるといい。」悪びれたところはまったくない。インドではこういうリクシャーはよくいるが、カトマンズではあまり見かけない。もうここはインド文化圏だ。

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ジャナカプールにあった料金表。インド側の終点ジャイナガールまでは1等50ルピー、2等29ルピーとある。(1ネパールルピーは約1円)

 ホテルに荷物を置くと、さっそく駅に向かうことにした。事前に調べた時刻表では1日3往復の列車があったのだが、ある外国人のサイトには、保線が悪く運休していたという書き込みもあった。なにはともあれ、まずちゃんと動いている姿を見ないことには落ち着かない。
 
 町はずれにある駅に着くと、広いホームには長い編成の客車が停まっていた。駅の窓口は閉まっていたが、人の往来はあるし、すでに乗車しているお客も何人かいる。どうやら営業していそうな気配でホッとする。しかし目の前に停まっている客車は恐ろしくボロい。窓ガラスはなく、塗装ははげ、いたるところに投げやりな、その場しのぎの補修が施してある。車内に入ると、これもすさまじい。天井は落ち、椅子は壊れて、床には穴があいている。満身創痍というか、これではほとんど廃車体である。本当に走るのか不安になるほどの惨状だ。落ち着いて、さらにあたりを見渡すと駅が実に汚い。だいたいネパールの町はよくゴミが落ちているものだが、ここもひどい。使われなくなった線路や車両の裏側などは近隣住民のトイレにもなっている。
 
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 いやはや、聞きしにまさるものだとため息をつきながら、少し離れた車庫の方に歩く。オイルで黒くなった地面に工具を並べて、なにやらディーゼル機関車の整備をしている。客車ほどではないが、こちらもけっこう年季が入っている。突然あらわれた外国人にさして興味を示すでもなく、何度も調整を繰り返しながら様子を見ている。どうもあまり調子がよくなさそうだ。

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 ここで働いている人に聞いてわかったことは、現在は機関車がこの1台しかないので列車は1往復のみ。朝インド側のジャイナガールを出て、お昼前にここジャナカプールに到着し、午後3時頃にまたジャイナガールに向けて戻るというもの。所要時間は2時間くらいということは、時速にすると15キロ以下。まぁ、自転車よりは少し速いかという程度。機関車はインド国鉄から払い下げられた中古車だが、メンテナンスの予算が十分にないため、だましだまし使っているようだ。部品の交換が必要になると、もう1台の機関車から外して取り付けるらしい。たしかにすぐ隣にはあちこち部品が外された哀れな姿の廃車体が置いてある。機関車の具合が悪い日には運休することもあるという。燃料の軽油が調達できずに1ヶ月以上運休していたこともあったそうだ。ますますもって、いやはやである。
 
 そんな話をしているうちに整備も終わったらしく、機関車は駅に向かって動いていった。ホームには5両の客車に2両の貨車が連結された列車が出発を待っている。どこからわいてきたかと思うほど、ずいぶんと人が増えている。すでに車内は満席だ……。いや満席というよりすし詰めに近い。よく見ると車内には人だけでなく大きな荷物も天井まで積み上げられている。さらに屋根の上にも機関車のまわりにも、もう人、人、人である。壮観な眺めだが、明らかに定員オーバーである。これでは機関車にも線路にも大きな負担がかかってますます消耗の激しいことだろう。駅からしばらく歩いた鉄橋まで移動し、ここで列車を撮影することにした。待つことしばし。駅の方角から出発のタイフォーンが聞こえたが、なかなか列車はやってこない。やがてゆっくりと鉄橋の上に姿をあらわした列車は、歩くよりほんの少し速いくらいのスピードで、恐る恐るといった感じで鉄橋を渡っていった。

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オンボロとはいえ、とりあえず動いている列車を見ることができてホッとした。明日はネパール側の国境駅カジュリまで行ってみよう。(続く)


Canon EOS5DMk2, 60D, EF17-40/4L, EFMacro100/2.8L, Makro-Planar50/2, Distagon35/2

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コメント

ジャナカブール鉄道記、どこかの鉄道雑誌に掲載されるべき、写真と文章内容ですね! 私もダージリン鉄道撮影旅行で二回、インドへ行きましたが、写真撮影以前に、体力と神経をすり減らされる旅でした。 騒音や匂いも、大変でした。 さすが服部さんです。

k.iwamatsuさん、こんにちは。いつもありがとうございます。この記事は、実は新聞社系の一般誌に部分的に発表したことがあるのですが、今回は鉄道ファン向けに内容を修正し加筆して掲載しました。たしかにインド、ネパールなどの旅行はくたくたに疲れますね。汽車や鉄道がなかったら、おそらく一生行くこともなかったでしょう。お互い、話が鉄道となると情熱ありますね。

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