東への入り口 ベルリン Sバーン フリードリッヒシュトラーゼ駅 服部一人
昔話である。
今から30年くらい前、初めてドイツのベルリンに行った。歴史の授業のようで恐縮だが、当時ドイツはまだ東西の2国に分かれていた冷戦時代のことである。大都市ベルリンも東西2つがあり、その間には「ベルリンの壁」というコンクリートの高い建造物で厳格に仕切られていた。西側の人々は東ベルリンに行くことはできたが、東側の住民は西への往来が禁止されていた。
そんな国境駅があったのが、ここフリードリッヒシュトラーゼ駅である。フリードリッヒシュトラーゼはベルリンを南北に貫く目抜き通り。今は明るくにぎやかな繁華街になって人通りが絶えない。さて30年前はどうだったか……? 「互いに対峙する国の国境特有の重苦しい空気の流れる場所」 だったように自分では記憶している。
旅行者の私は当時西側に宿泊し、カメラを持って日帰りで東側に見物に出かけていた。国境のチェックは厳しく、荷物や外貨の申告、そして東ドイツマルク(当時は東西で通貨も違っていた。)への強制両替もあった。西ベルリンに比べると社会主義をやっていた東側は物価が安く、この強制両替を1日で全部使うのはなかなかたいへんだった。そこでカメラ屋を見つけてペンタコンとか、プラクチカのカメラ(西側に比べるとこれらのカメラは安かった。)をおみやげに買って帰った。
西側に戻るときにもやはりきびしいチェックがあり、東ドイツマルクの持ち出しなどが禁止されていた。ある夕方、私はおみやげのカメラを持って国境を越えて西ベルリンに戻ろうとしていたのだが、うっかりして入国時の強制両替のレシートとカメラを購入した販売店のレシートを紛失していた。ニコリともしない東側の係員は、正規の両替の証明もなく不当に手に入れた物だということで、買ったばかりのカメラは強制的に没収となってしまった。
フリードリッヒシュトラーゼ駅はドイツ鉄道の幹線、Sバーン(国電)、地下鉄が交差する主要な乗換駅である。鉄道駅の方はドイツの東西統一後、改装されて昔の重苦しい雰囲気はなくなった。いっぽうのSバーンはこのあたりは地下を走っていて、フリードリッヒシュトラーゼ駅も地下にある。そのせいか多少昔の面影を残しているように私には感じられた。写真は3年ほど前に撮ったものだが、このときはフリードリッヒシュトラーゼ駅からSバーンに乗り、Nordbahnhof(北駅)まで乗車した。このすぐ近くにはベルナウアーシュトラーゼという通りがあり、そこには壁の一部が保存されている。北駅の構内の一部には冷戦時代の国境の様子を展示したパネルもあった。
こちらがベルナウアーシュトラーゼ。中央の緑地帯に沿って、かつてはベルリンの壁があった。
Canon EOS5DMkⅡ, EF24-105/4L VOL.582
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